44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで⑫

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

今回は、大学の申請から入学許可までを語ります。

 

著書より前回の続き

 

大学の申請

 

 1996年(平成8年)の10月、TOEFLを基準点を突破したので、玉木さんはいよいよ本腰を入れて,私の留学手続きに取り組み始めた。先ずは大学選びだ。私の勉強したいのは栄養学だ。それに迷いはない。それと教養課程は、時間と資金の節約のためにも、繰り返したくないので、専攻課程への編入学だ。場所的には、やはり久司先生やマクロビオティック関係で知り合った人達のいる、東海岸がいい。学費はできるだけ安いところがいい。私の、これらの要望を全て考慮に入れて、玉木さんは大学を探し始めた。栄養学のある大学はそれほど多くはない。マサチューセッツ州デラウェア州ニュージャージー州等が浮上してきた。マサチューセッツ州、は久司先生のいる州なのだが、今回は、少し距離を置いて、一般のアメリカ人の考える栄養学にアプローチして学び、そこからマクロビオティックを展望してみたかったので、マサチューセッツ州は除くことにした。それから、それは本意ではなかったのだが、玉木さんがイギリスも選択肢に入れようというので、玉木さんに任せた。玉木さんの指示のものとに、私は、大学の卒業証明書、高校と大学の成績表等をそろえ、また大学入学の動機やゴールなどをしたためたエッセーを玉木さんに提出した。

 

 

大学からの入学許可

 

 12月、玉木さんから、スコットランドの大学から入学許可が下りたという知らせを受けた。スコットランドについては、ちょうどそのころ、世界初のクローンの羊が生まれたという事が騒がれていたので、名前は聞きなれていたが、その他については、あまり知らない。久司先生達のいない国に、牧草地だけが広がった荒涼としたイメージが浮かんだ。だが文句は言えない。入学を許可してくれたのだ。喜ばなけらばならないのだと思った。アメリカの大学からの入学許可はまだ来ていない。

 その同じ月に、また玉木さんからまた連絡があり、スコットランドの大学の面接官がやって来て、私に面接をするという。そしてその面接が行われた。その大学のコースは3年間であることや、住むことになるドミトリーの説明等を受けた。私は、そこで栄養学を終了した後、就職できる可能性はあるかと聞いた。すると、その面接官は、それはないときっぱり言い放った。帰国しなければならないと。それらのやり取りで、その面接官は私の英語力に疑問を持ち始めたのだろう。社会や科学を英語で学んだことがあるか、または英語で理解できるかというようなことを聞かれた。私は、イェスと言ってごまかせる状態では全くなかったので、正直にノーと言った。するとその面接官は、大学に入学する前に高校の教科を3年間とることを強く勧めた。高校3年と大学3年の計6年だ。6年⁈そんなバカな。大学編入で2年間の予定なのに、六年の余裕などない。資金的にも、時間的にも。20歳の若者ではない、すでに43歳だ。だが勿論口には出せない。これも貴重な入学許可だ。私は一応それを受け入れた格好で、絶望的な思いで、その面接会場を後にした。

 翌年の1月、玉木さんからの連絡で、留学センターの事務所に行くと、玉木さんが、アメリカの大学からも、入学許可が下りたという。デラウェア州ニュージャージー州の両方の大学からだった。ヤッターという歓喜と、本当にいいのかという半信半疑な気持ちと、留学センターの広告通りだったという、信頼を裏切られなかったうれしさ等の入り混じった感情が私の中で渦を巻いた。

 

モントクレア州立大学

 

 本当に幸運にも、大学からの入学許可が出そろったので、最終的に大学を決定する段階に入った。もうスコットランドの大学のオファーを考慮に入れる必要がなくなったのでほっとした。デラウェア州デラウェア州立大学とニュージャージー州のモントクレア州立大学のどちらかだ。玉木さんによれば、どちらも州立なので、学費は比較的安い。あとは地理的な条件だ。ニュージャージーにはマクロビオティックの知人がいる。そして、ニューヨークや、久司先生のいるボストンにも行きやすい。ほとんど迷いなくニュージャージー州のモントクレア州立大学に決めた。

 ここで、読者に断っておきたいことがある。私の入学許可が割合に簡単だったのは、私の場合、既に学士号をもっていたからだ。TOEFLの結果と、大学の成績、エッセイが判断の基準になる。大学の成績は問題になる。大学のランキングなどは気にしなくても構わない。入った大学でどれだけ頑張ったかが評価される。総合成績はGPA(成績評価値)で表される(GPA  については後述)。日本の大学の成績ではGPAを見かけないが、この留学のために取り寄せた日本の大学の英訳の成績表には、GPAが記載されていた。私のGPA は3.41だった。ちなみに、オール「A」 なら4.0である。これが、高卒からの留学となると、高校での活動など他の面も考慮されるので、もっと大変かもしれない。

 玉木さんの説明では、その栄養学のコースで、米国公認管理栄養士(Registered Dietitian、以下ダイエティシャンまたはRD) の資格が取れるという。勿論、資格試験は受けなければならない。私は、英語で資格試験などは無理だとすぐに思った。だが、そんな先の心配よりも、この留学が実現し、また、久司先生のいるアメリカに行けるということに舞い上がっていた。

 さて、必要な資金は一体いくらになるのだろう。授業料を払い、教材を買い、最低の生活をするための資金の全ては?玉木んの見積もりでは、二年間の編入学では、確か三百万円位あれば、十分であった。だが私の貯金だけでは賄えない。母に話して、不足分を母から借りることを承諾してもらった。万が一返せない場合を考慮し、姉と分け合う筈の田舎の小さな土地の相続を放棄することを引き換えに。

 大学は9月から始まるのだが、海外留学センターの一連のスケジュールによれば、その前に、3カ月間の留学準備コースに参加することとなっていた。その留学準備コースはカルフォルニアモンテレイにある「モンテレイ・インスティチュート・オブ・インターナショナル・スタディーズ」で行われるとのことだった。まだ、学生ビザも下りるどころか、申請の段階にも入っていなかったのだが、玉木さんのそれまでの着実な事務手続きに何故か安心感があり、もう心は既に、モンテレイ、そしてその先のニュージャージーに飛んでいた。(続く)