44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで㊶

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

辛く苦しい事ばかりが続いた日々に、ついに転機が訪れる。

 

著書より前回の続き

 

ビンセントからの連絡

 

 フロアの仕事はじめ、いつものように、職場のメールと個人のメールの両方をチェックしていると、個人のメールの中に、ビンセントからのメールを見つけた。ビンセントは、前述したように、バーゲン・レジョナル・メディカル・センターの食糧・栄養部のディレクターをしていたが、外部の会社が入ってきたために、職を追われた。だが直ぐに別の病院のソデクソ 傘下の食糧・栄養部のディレクターの地位を得ていた。

 ビンセントは、ニューヨーク州を拠点にしていたので、私達がニューヨーク州に移住することになるまでは、連絡することがなかったが、移住前後に1・2回メールや電話で周辺のRD の職場の事情を聴いたりしたことがある。そして最後に話したときにはSodexo も辞め、ニューヨーク州立の施設の中の食糧・栄養部のディレクターをしているとも言っていた。

 そして今回の連絡だった。メールに私語のメッセージはなかったが、ウェストチェスター郡モントロースのニューヨーク州立べテランズ・ホーム(退役軍人老人ホーム)のダイエティシャン(RD)の募集広告の転送だった。その広告はダイエティシャンの募集サイトで私も確か見ていたが、州立の施設であり、私が州立職員の空きに応募するための登録をしていないので、無理だと諦めていた(その必要はないことは後から分かった)。そこはビンセントの職場だった。電話番号がでていたので、直ぐに電話をした。ビンセントが出た。

 私は、メールを受け取ったこと、その募集は既に見ていたこと、今職を探していることなどを話した。彼は私にどこに住んでいるのかを聞いて来たので、それに答えると、(その職場と私の住居は)近いという。それから、彼は私が今職をもって働いているのかも聞いて来た。あとから知ったことなのだが、辞めて職を探しているより、仕事をしながら職を探している方が、信用度が高いらしい。そして、もしその空きに興味があるなら、直ぐに応募するように言ってくれた。

 それはもう天の声としか言いようがなかった。職場が自宅から近くて、安定した州立の施設で、信頼しているビンセントからの薦めで、ビンセントの下で働ける職場だった。迷わず応募手続きをした。そして、ビンセント及び他のスタッフとの面接を経て、採用された。補足だが、バッサー・ブラザーズ・メディカル・センターには、辞める4週間前に辞表を提出して、土壇場でのいじめや嫌がらせを回避することに万全を期した。私より前に辞めたダイエティシャンが、2週間前に辞表を提出すると、3週間前ではないという理由で、残りの休日の換金をされなかったのを見ているので。(彼女はもう一週間延ばすことで、その措置は回避することは出来たのだが、彼女自身、2週間後に次の職場に移ることにこだわっていた)。

(続く)