44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで ー 余談㉖訴訟の被告に

私は、自身の回顧録のなかで、いじめも解雇も体験したが、現在は、最良の上司に恵まれて、平和裏に仕事ができるようになったことを書いた。だが今日は、その後に起こったアメリカの試練の留めになることを共有したい。それは訴訟に巻き込まれたことだ。アメリカは訴訟大国と呼ばれるのだが、その訴訟の(被告側の)証人の立場に立たされたのだ。

去年(2022年)の5月に、ニューヨーク州保健省の弁護士から、メールが送られてきた。私の勤め先である退役軍人老人ホームに入居していたL.L.氏が死亡した件で、訴訟があり、11月にオンラインでの裁判がおこなわれるというもので、証言にたつことを要請されたものだった。はじめ、それがなんのことかまるで分からず、上司に転送して、これはなんのことなのか尋ねた。それと同時にそのメールを何度も読み返しているうちに、どうやら私が、その死亡に至る過程に関わっているとされ、証人として証言しなければならないらしいことが分かってきた。私はそのL.L.氏の名前も顔も全く覚えていない。取るものもとりあえず、コンピュータ上の過去の記録を検索した。

L.L.氏は、その5年前の2016年の12月12日から2017年の1月15日まで約一カ月間だけ入居していた89歳の男性だった。ベッドからの落下で左腰を骨折し、手術を経て、病院からやって来たのだった。持病としては、パーキンソン病、高血圧、高脂血症認知症、膀胱がん、血尿、前立腺肥大症、糖尿病があった。L.L.氏は、様態の悪化で2017年の1月15日に病院に搬送され、1月22日に病院で死亡した。だが家族は、L.L.氏の死亡の原因は、老人ホームで適切な処置を受けていなかったことによる、「尿路感染症」、「栄養失調」、「脱水」であるとし、ニューヨーク州保健省を訴えていたのだった。その関係者として、医師、看護師、そして管理栄養士としての私が証人席に立つことになったのだった。

もう寝耳に水。5年も前のこと。顔も名前も憶えていない。後に弁護士に、なぜ5年もたってから訴えるのかと聞くと、それは、既に始まっていたが、コロナ禍で、据え置きになっていたとのことだった。

L.L.氏は、身長170cm、体重70キロ、平常範囲の体重だ。入居から4週間は毎週図ることになっている体重は、3週目までは安定している。が4週目の記録はない。恐らく、体調が悪く、体重測定を見送ったのだと推測する。私は、入居時にコンピュータのフォームに沿った栄養評価を12月15日付けでしている。長期療養施設では、体調などに変化がなければ、管理栄養士の評価は通常3カ月ごとだ。

翌年の1月12日木曜日に、看護師が私に、L.L.氏の食事の摂取量が落ちていると言ってきた。接種量の記録を見ると、確かに以前は、75-100%が多かったのに対して、25-75%に落ちている。とりあえず、糖尿病患者用のサプリメントドリンク”Glucerna"を午後に一回を提案した(このホームでは、管理栄養士がrecommendし、ドクターが是認するルールになっている)。記録によると、”Glucerna"は、翌日の1月13日(金)に処方がスタートし、100%摂取されたいる。その翌日の1月14日(土)は50%、翌々日の1月15日(日)は0%「嚥下できず」と注意書きがあった。そしてその日にL.L.氏は病院に搬送されたのだった。栄養士は土日は勤務しないし、通常でも、サプリメントドリンクなどのフォローアップは数日後だ。看護師が言ってきてから(12日木曜)から週末に病院に搬送されるまで(15日日曜)、私の知らぬ間にことはあれよあれよと進んでしまっていたのだ。

これで私に責任があったと言われても、責任の取りようがない。訴状に上がっている「栄養失調」に関して言うと、L.L.氏が食べようが食べまいが、2000キロカロリー近くと約90グラムのプロテインをむくむ食事が日々提供されている。また、骨折の術後の創傷治癒を促すために、(私の介入で)総合ビタミン剤とプロテインサプリメントが処方されている。「脱水」に関して言えば、メニューに含まれる飲み物、食事時に提供されるコップの水、スナックタイムに提供されるジュースやアイスティー等を合わせると2000㏄以上になり、また、ベッドサイドにはウォーターピッチャーが常に置いてあるので、水分提供の責任は十二分に果たしている。また、それらの提供されたものを摂取するかどうかについては、通常、看護師や看護師の助士が、補助したり、促したりしている。実際、看護師が飲み物を促している記録があった。

「尿路感染症」に関しては、医師の責任分野だ。それと「脱水」もだ。15日付けの血液検査の結果を今見ると、BUN 59, Cr 1.83, Na 149, Ca 12.3, WBC 18.1 と異常に高い。脱水及び腎臓機能の低下、感染の疑いがある。その日の早朝、看護師はその異常な結果を、すぐにDr. F に連絡して指示を待っている。週末は、医師との連絡は、ON CALL でなされ、電話の指示で動く。ところが、記録によると、Dr. F からの返事の連絡がなかったようで、(看護師がDr. Aに連絡したのか)午後の2時過ぎにDr. Aからの病院への搬送の支持が出ている。それまでは何の処置もなされていない。看護師が検査結果の異常に気付いて医師に連絡し、指示を得るまで、なんと9時間もたっている。

オンラインの裁判で、私は精一杯の受け答えをした。私は、私の立場で、やるべきことは全てしている。弁護士にも、500ページにもわたる資料(オンラインの記録)のどこに私のした仕事が出ているかを調べて全て伝えた。医師として裁判で証言したのは、Dr. Mだった。Dr. F は既に他界している。当時から、Dr. F は顔面のガンで、いつも顔を覆っていた。Dr. A や診療看護師がフォローはしていても、Dr. M がもともとのL.L.氏の担当医であった。

私は、裁判が行われてから後日、Dr. M を訪ねて裁判についての話をした。そして尋ねた。十分に弁護できたかを。すると彼女は「負けた」と言った。その言葉はショックだった。私自身がうまく証言できていないとしても、医師は滞りなく弁護できていると信じていたからだ。彼女は更なるLab(血液/尿検査)のオーダーをしていなかったと言う。直近のLabの結果は1月15日以外に、1月12日、14日と存在しているが、その異常に向き合った介入をしていなかったという意味だろう。この件で他に誰も話せる人はいなかった。上司も、この件に関わりたくないのか、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるように見えた。というのも、一度、コップに注がれた水を食事時に提供するとことが「方針と手順」に明記されていないことを発見した私は、上司に「Nothing!」叫んでしまったのだ。上司はあわてて「方針と手順」に加えていた。「方針と手順」の手抜かりで、部下をサポートできないことを恥じたのだろうと思う。ともあれ、私の周りには上司以外にこの件を知っている人はいないのだ。数カ月が過ぎ、四月に入ったので、弁護士にどうなったのかメールで尋ねた。すると、和解にもっていったという。私は、いくら払ったのかを聞いた。原告は$650,000(4月30日付けの136.68円換算では、88,737,675円)を要求していたが、結局は$150,000(20,502,525円)で和解したという。弁護士は、私の仕事や責任については十分に釈明されたと慰めの言葉をかけてくれた。

これは、始めに予想していたこととは、どんでん返しだった。上司と始めに話した時は、L.L.氏が89歳で癌にもかかっている状態であることから、上司はこの件は却下だと鼻も引っ掛けない感じであったのだ。私はこの結果について、私のキャリアに汚点がついたような納得のできない気持だった。だが、全体の記録を俯瞰すると、医療側に落ち度があるようにも思う。原告側が非難しているのは、ニューヨーク州であり、個人ではない。ニューヨーク州はこれを払い、私の勤めている施設の運営者も、何も言わずに、ことを荒立てないようにしているように見えた。

堀尾シェルド裕子