44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで⑪

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

今回は、留学という選択に踏み出し始めた私の英語の問題について語っています。

 

著書より前回の続き

 

英語に関して

 

 高校を卒業してから、私は、獨協大学のフランス語学科に在籍して、フランス語をものにするつもりで頑張っていた。大学1年と2年では英語の授業は必修ではなかったので、取っていなかったのだが、3年生になってから久しぶりに必修の英語のクラスをとって驚いた。私は英語をすっかり忘れていた。過去形の作り方まで、忘れていた。あの時は本当に驚いた。人間の脳とは、、、中学から6年間学習した英語を、これほどまでに簡単に忘れてしまうとは。これが感情的な事柄だったら、そうではないだろう。忘れたくても、忘れられないだろう。だが、無感情に無理やり詰め込んだ物は、必要がなくなれば、いとも簡単に忘れてしまうということだ。

 これは余談だが、アメリカのあるパーティで、40代位のブータン人と話した時の話だ。彼は20代でアメリカにやって来て、その時は既にアメリカに20年位滞在しているわけなのだが、もう母国語を全く話せないという。もうすっかり忘れてしまって、聞いてもわからないという。私は、にわかには信じられなかった。生まれてから、20年以上もの間使っていた母国語を忘れる?だが、考えてみれば、彼はアメリカにきて、生き残るために必至で、アメリカに溶け込もうとしてきたのだろう。周りには、ブータンの言語を話す友人も知人もいなかったのだろう。母国語を忘れてしまったという彼をきのどくに思った。私自身、今現在、40代からアメリカに20年ちょっといて、日本語の言い回しを忘れていることがある。恐ろしいことだ。少し前から、デジタル新聞を購読し始めたので、毎日拾い読みをし、情報を得るとともに、日本語忘却に歯止めをかけている。

 本題に戻る。大学3年生で、習った英語をすっかり忘れてしまった私なのだが、友人が属していた英語クラブでは、NHKのラジオ英会話講座のテキストを使ってロールプレイイングで練習しているの知り、私も見よう見まねで、やり始めた。毎日その日のスキットを丸暗記して、声に出して繰り返し、その後、それを筆記した。大学卒業後は、洋書の流通会社に勤め始めたので、教材になりそうなものを、容易に手に入れることができた。小さな子供むけの料理の本のサンプルも見つけた。それが、私の英語の料理の本を読み始めるきっかけにもなった。

 ほどなくして、英語に自信をつける出来事が起こる。会社勤めをするようになって、初めて自分のお金でフランス旅行をした帰りのことだ。パリから東京へ向かう帰国便に何かの不都合が生じて、乗客の全員が韓国のソウルで飛行機を降りなければならず、ホテルに一泊することとなった。飛行場からホテルまでの送迎のバスの中では、韓国人のガイドがその行程を英語で説明した。私の隣には、飛行機の中でも、隣りあわせだった日本人の老婦人が座っていた。彼女は英語がわからず、私に頼り切っている様子だった。私は老婦人への責任を感じてしまい、一字一句を漏らしてはならじと、耳をこらして英語の説明を聞き、隣の老婦人に通訳した。これからホテルにつき、一泊して、翌日の朝食は、、、というような簡単な内容だ。韓国人の英語の発音は、日本人のそれと似ているようで、とてもはっきりとよく分かった。内容が簡単であったせいもあるだろう。私は、この実際の現場での体験にすっかり気をよくしてしまって、私の英語学習に拍車がかかった。

 英語のカセットの教材は、すべてカセットを聞いて、ディクテーション(書き取り)した。カセットの英語を聞いて分かったつもりでいても、書けないこともある。もし書けなければ、それは、理解していない証拠だ。書いてみると本当に理解しているのかどうかがわかる。 ディクテーションは音と意味をつなげるお勧めのメソッドだ。わたしは、この ディクテーションという方法を、大学時代、学外のフランス語の学校に通っている時に覚えた。フランス人の先生がフランス語の文章を読み、生徒はそれを書きとった。それが以外に難しく、とても役に立った。

 英会話サロンにも一年間通った。一週間の英語の集中合宿にも参加した。電話による英会話セッションも取った。その時の電話の英会話の先生の一人だったエレーヌとは、その後友達となり、今でも時々スカイプで話をしている。

 もう一つ、とっておきの方法を紹介しておきたい。それは、新聞のコラムと社説を対訳で読むことだ。その当時、対訳としてセットでは出ていなかったので、日本語の新聞とその英字新聞の両方をとって、切り抜いて合わせて読んだ。分かってもわからなくても、日本語の社説を先ず読む。それから英語訳を読む。それからまた日本語版を読む。今度は少し内容が、筋として頭に入ってくる。そしてまた英語版を読むと、今度は、主な単語が浮き上がってくる。始めはとっつきにいが、だんだん慣れてくる。コラムは毎日違うバラエティーにとんだ内容だ。社説は政治的な題材が多い。この両方が英語の長文読解には最適だった。「自衛隊」を英語で”Self-Defense Force”というのも社説の英訳で覚えたことを思い出す。このお陰で英語の長文読解が苦痛ではなくなった(TOEFLには長文読解がある)。日本語の社説でさえ、以前は読むのが苦痛だったのに、驚きだ。英語を克服したいという思いがあったからかもしれないが。だまされたと思って、試してみることをお勧めする。今はデジタルの時事英語で和英対訳で読めるので便利だ。

  最後に、わたしが留学斡旋を依頼した「海外留学センター」の中にあったTOEFLをの補佐する英語のクラスについて触れたい。そこの先生は、カセットのついた英語のテキストを使った。カセットの英語のネイティブスピーカーの読んだ英語を、短いセンテンスごとに区切って聞かせ、それを生徒に復唱させた。短いセンテンスなので、音では何となく覚えているのだが、声に出して繰り返すとなると、やはり、理解していないと言えないということが分かる。その先生は、理解できない内容をむやみに繰り返して復唱してみても意味がないと言った。自分の理解できるレベルの内容のものを使えということだった。そのクラスは受講者が少なかったためか、短期間で閉鎖されてしまったのだが、私はその後も、そのテキストの続きをカセットを使って続けた。その方法は、前述したディクテーションに並んで、英語の聞き取りを延ばす効果的な方法だと思う。私のTOEFLの点が伸びたのも、この方法のお陰ではないかと思う。

 ここで紹介した全ての事柄が、私の、留学に必要なTOEFLの基準点を突破するのに役立ったとは言える。だが、それはアメリカで通用する英語が上達したということでは全くなかった。その話は、後の章に譲りたい。(続く)