44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで㉓

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

大家さんとのトラブルが起こる。それで、運転免許、そして車を急遽取得。

 

著書より前回の続きです。

 

大家さんとのトラブル

 

 その時私は、屋根裏部屋に住み、トイレはついていたが、二階のシャワールームと、一階のキッチンは、大家さんと共有していた。大家さんと調理時間が重ならないように、私は朝6時半頃起きて、7時前までに、一日分の調理を終えるようにしていた。

 マクロビオティックでは火を使うのが特徴だ。陰性のものを陽性化する。勿論、季節や気候によっても材料や調理法も違ってくる。常に陰陽のバランスを考慮する。暑い陽性の日には、陰性のものを食す。従って、そのような日には生ものも選択の内だ。そのようなことは、分かっていても、限られた時間と場所、限られた材料で、頭はいつも学業のことでいっぱいの私には、調理を調整する余裕もなく、食材も調理法も変えていなかった。

 ある真夏の蒸し暑い朝、私がいつものように、手早く済ますために、四つのガスコンロを同時に使って調理をしていると、大家さんが怒鳴りこんで来た。こんな暑い日にコンロは使うなと。暑くてたまらないと言う。火を使わずにサラダを食べろと言う。今から考えれば、理にかなっているのだが、その時の私はそれに気づかず、ただ動転した。そして怒りもわいた。これは生き方の問題だ。人の食べるものに口を出すなんて。一線を超えている。

 普段は、英語もよくしゃべれないので、おとなしくしている私だったのだが、その時は、立ち向かった。それは出ていけという意味なのか、と問い返した。彼女は私の怒りを感じたのか、何も言い返してはこなかった。それというのも、私は家賃をキチンと期限前に払う、いつも静かな理想的な店子なので、手放すには惜しいと思ったのだろう。その時、それ以上の言いあいにはならなかったのだが、私はショックで、部屋に戻った。スミソニアンのレセプションで知り合ったダンに直ぐに電話した。彼もマクロビオティックなので、私が火を使った理由を説明しなくてもわかってくれる。それで、少し気が楽になった。

 大家さんの私への苦情はその前にもあった。私は、前の店子であるタエちゃんや韓国人の学生がしていたのと同じように、私の最低限の調理器具と調味料をキッチンカウンターの片隅に置いていた。大家さんは、それが邪魔だから、自分の部屋にもって帰れという。一回ごとに、なべかま、材料、調味料を三階にあたる屋根裏部屋から一階のキッチンに運びこんで、全てが終わった30分後にまた屋根裏部屋に持ち帰る? マクロビオティックのせいで、私の持ち込む諸々の量が多かったのだろうか? その件に関しては、無視して、そのままやり通したので、大家さんも諦めたのか、それ以上は言ってこなかった。

 今回のコンロ事件は、そんな矢先のことだったのだ。私はどうしたらいいのか色々と考えた。思いやりのない、そんな厭わしい環境には耐えられない。考えあぐねたすえ、私が調理法を変えられない以上、そこには居られない、そこを出よう、と決めた。そしてその事を大家さんに伝えた。

 

運転免許証、車の購入、運転の練習

 

 ところで、その時の私は、車をもっていなかった。アメリカでは、車をもっていなければ生活できないと言っても過言ではない。それというのも、アメリカは車社会なので、バス・電車などの公共の交通機関が極端に限られているからだ。学生とて同じことだ。

 一度授業で、学外の施設のプログラムを二つ選んで、見学をし、レポートを書かなければならないフィールドワークのプロジェクトがあった時、車をもっていない学生は数人しかおらず、先生は私に学内の学食の見学を割り当てた。一つはそれでよかったのだが、もう一つこなさなければならず、それには、バスを乗り継いで行くしかなかった。車なら15分で行ける距離だったが、適当な路線バスがない。私は二つの路線バスを乗り継いで、大回りして、1時間半かけて行った。

 というわけで、大家さんに出ていくとは言ったものの、別なアパートを探すには、車が必要だった。学校から歩いて行ける範囲だけに絞って、アパートを探すのは難しい。仮にあっても、家賃が高かったりする。それで車の必要に迫られたのだが、車の知識はゼロだ。そして、その前に運転免許証の問題がある。免許に関しては、日本で大学時代に取ってはある。でもそれっきりのペーパードライバーだ。だが、その免許証があれば、国際運転免許証はとれるので、アメリカに来る前にそれはとっておいた。でも、ここアメリカに住む以上は、アメリカの運転免許証が欲しい。運転免許証は、あらゆるところで、必要とされる身分証明書の一つだ。国際運転免許証をもっているので、運転技能試験は免除されて、ペーパー試験だけでアメリカの運転免許証が取れる。試験は日本語でも受けられたが、英語でアメリカの路上の表現を覚えなければ、現実役に立たないと思ったので、英語のサンプル試験問題を練習して、英語による試験に臨んだ。ペーパー試験は一度落ち、二度目に受かった。 

 さあ次は車の購入だ。留学生には高い買い物だが、車がなければ、近い将来にチャレンジしなければならないインターンシップに臨むことさえできない。いずれ必要になるものなので、今回の「事件」をきっかけに、購入を早めた格好だ。貯金残高だけが全財産なので、中古で、少しでも安くて、少しでも性能の良い車を見つけなければならない。当然ながら、そのようなことを私一人でできるわけがない。ダンに助けを頼むと、快く引き受けてくれた。そして初めて購入した車は中古のトヨタシビックだった。

 運転の練習の指導は、インターナショナル・スチューデント・クラブの仲間でフランスから来た留学生のフレッドに頼んだ。車の運転は、アパートと学校までの住宅街を通る5分位の距離だけに限った。一般道路には、その後もしばらくは出なかった。

 アパート探しは、並行してその間にもしていた。めぼしいところを見に行ったが、満足できずにいた。もう夏休みの終わりが近づいていた。大家さんが、私に次のアパートは見つかったのかと聞くので、まだだと答えると、彼女はここにそのまま住んだらどうかと言う。出ていけと言われたわけではないので、そう言われると、もう新学期も迫ってきている折から、それしか選択がなく、それでいいと思えてきた。それで、新たに間借りの契約や約束事を共に見直して、私はそこに続き引き住み続けることになった。

(続く)