44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで➈

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

(著書)前回(秘策探し)の続き

 

私は、私の窮地を友人、知人に話して手がかりを探っていた。ある時、フランス人のリリアンから電話があった。リリアンは、その一・二年前に久司先生の日本旅行団に参加していて、その後日本に職を得て、日本に暮らしていた。リリアンは、フランス文学の博士号をもっているので、東北大学のフランス語を教えるポジションを得たのだった。リリアンは、私に、アメリカの大学に入学したらどうかという。アメリカ留学による学生ビザを取ったらどうかという。留学??? 私は、思いもよらないアイデアに、あっけにとられていると、彼女はさらに続けた。日本文学を専攻して、教授のアシスタントをすれば、給与ももらえる。稼ぎながら、勉強ができるというのだ。私が、日本人がアメリカで日本文学を専攻するなどバカげてると思っていると、リリアンは、フランス人である自分もアメリカでフランス文学を専攻した、という。そして、フランス人であるがゆえにフランス語の教授のアシスタントの役割を得、稼ぎながら勉強した、というのだ。電話を切ってからも、その突然の突飛なアイデアが私の頭をぐるぐると廻った。留学? アメリカで日本文学? 教授のアシスタント? どれ一つをとっても、唐突だった。

 一日二日、私はその考えを反芻し続けた。確かに留学というのは手かもしれない。でもアメリカで日本文学を専攻したいかどうか? そうは到底思えない。では何を勉強したいのか? もし勉強したいとすれば、それは栄養学だ。私は常に、マクロビオティックを現代栄養学的に説明できたらどんなにいいだろうと思っていた。アメリカで栄養学を学べば、マクロビオティックを世界中の人々に英語で、科学的に、栄養学的に、説明出来るようになるだろう。それは私のしたいことだった。でも一体私が学生ビザを取ることができるのか? 10年間米国入国不可を宣告された私だ。様々な難題の中で、私が最も憂慮したのは、やはりビザの問題だった。

 

弁護士事務所への査定依頼

 

 10年間は米国には入国できないと宣告された私に、学生ビザが下りることなどあり得ない。どう考えてもあり得ない。でも、法律家はどう考えるのか、何か方策はあるのか? とりあえず弁護士事務所にあたってみることにした。査定料は二万円だという。依頼から二週間程して、その結果をもらった。その結果とは、私のその時点での状態で学生ビザが取れる可能性はゼロだが、以下の三つの条件を満たせば、その可能性は20パーセントに上がるというものであった。その三つの条件というのは、一つ、世界的に著名な人からの推薦状をもらう。二つ、政府関係者からの推薦状を二通そろえる。三つ、留学後の専攻科目に見合った、約束された職とその給与の明示。エ~ッ! そんな! そんなこと出来るわけがない。そんなこと誰が出来る? しかも、仮にそれらの難題を満たしたとしても、可能性はたったの20パーセントに上がるだけ? 私はその理不尽に腹が立った。多分、弁護士事務所は、空手で二万円をとるわけには行かないので、出来るわけのない難題を押し付けたのだと。

 ひとしきりの興奮が収まって、冷静になってその難題を思い巡らした。一つ目の難題の、世界的に著名な人からの推薦状は、久司先生からの推薦状で何とかなるだろう、と思いついた。久司先生は世界各地でマクロビオティックの講演・教育活動をしているし、日本語・英語の著書も多々あるのだ。二つ目の難題、政府関係者の人からの推薦状については、久司先生に相談してみようと思った。三つ目の難題、 留学後の専攻科目に見合った、約束された職とその給与の明示、については検討もつかない。が、ともかくも、久司先生からの推薦状はもらえるだろうと思っただけで、なんだか希望が出てきた。(続く)