44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで㊴

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

修士課程がもうほとんど終わるころから、CNSC というダイエティシャンの間では最も難しいと言われている資格取得の準備を始めた。めでたく合格。そして、待ちに待った転職。

 

著書より前回の続き

 

CNSCという資格

 

 RD がさらに目指す資格は数々ある。糖尿病教育、腎臓病専門の資格、または体重コントロールの資格であったりする。その中で、CNSC (Certified Nutrition Support Clinician) と言う資格は最も難しいと言われている。それは、経腸栄養法(胃瘻等)と静脈栄養法の専門資格だ。私がその資格のことを知ったのは、修士課程のクラスを取っているときだった。クラスメートのなかに、いつも数人、その資格の取得者がいた。また、取った一つのクラスの教科書が、経腸栄養法と静脈栄養法専門のテキストだった。その資格を取るためには、そのテキストを勉強すればよいのだと知り、修士課程を終えてから、その勉強に取り組んだ。実は、その資格が、修士をあきらめようとしたときに考えていたものだった。

 選択式で250問、4時間に渡る試験だ。修士を終了した同じ年の2008年(平成20年)の9月、3回目に合格した。だからその年は、修士とCNSC の両方が取れて、最高の年になった。5年間の資格なので、2013年((平成25年)9月までだった。

 その資格期間が切れたあと、2回程そのCNSC の再試験を受けたが受からなかった。私はもう勉強にはほとほと疲れたので、もう受けないことにした。合否を分けた理由に思い当たる節がある。経腸栄養法は病院でも老人ホームでも必要に応じて行われるので、常に接しているが、静脈栄養法は今日まで通常、病院や限られた施設でしか行われなかった(還付制度などの理由で)。はじめにCNSC の試験を受けた時は、病院に勤めていた。だから、静脈栄養法や、関連の生の最新医学情報を刻々身につけることが出来た。CNSC の試験問題は、正にそれらの最新医学情報から出る。2013年(平成25年)9月以降に受けなおした時は、老人ホームに勤めていて、日々刻々と進化して行く最新医学情報からは遠ざかっていた。いくら新しいテキストで勉強しても、現場で吸収できる知識には及ばなかった。

 

転職

 

 これは私の印象だが、RDは始めの5年位は転職を繰り返す。やめても資格があるので、次の職に困らない。また履歴書に記された転職の経歴は、豊かな経験として、むしろプラスのイメージだ。

 私は、他のRD達のように病院からではなく、老人ホームや長期療養施設から働き始めたので、病院で働くことにあこがれていた。そのチャンスは、2007年(平成19年)の2月にやって来た。その頃まで私は、修士課程の履修に忙しかったので、転職のことは脇に置いていたのだが、その時は卒論は終盤にかかっていた。提出しては訂正して再提出の繰り返しだったので、逆に多少の余裕もあった。そしてその修士課程のインストラクターの情報から、ニュージャージー州の3つの連携した病院の一つの病院、セント・ジェームス・ホスピタル(St James Hospital)、のRD の欠員募集を知った。競合は数人いたようだが、私がその職を得た。採用された理由は、私が修士課程をほぼ終えようとしていたことと、他のRD が嫌がる食糧援助プログラムの業務(仕事の中にそれが約半分含まれていた)も厭わない態度だったからなようだ。

 ところがなんと、働き始めたその年にその病院と連携しているもう一つの病院、コロンバス・ホスピタル(Columbus Hospital)の両方が閉鎖されることになった(経営上の理由だろうが、憶測のみで、はっきりとは知らされていない)。RD は他にもいたが、私が閉鎖直前まで責任をもって任務を担うことになり、各病棟ごとに閉鎖されて行く、病院の消えゆく姿を見守った。そして、生き残った三つ目の病院、セント・マイケルズ・メディカル・センター(St Michael's Medical Center)に移った。

 かくして、セント・マイケルズ・メディカル・センターに落ち着ける筈だったのだが、スティーブンと私は、ニューヨーク州に居を構えようと計画したのだった。住まいとスティーブンの職と、私の職の3つを同時に探し始めるという離れ業だったが、偶然や運が重なり、うまくその3つが収まった。私はニューヨーク州ウェストチェスターというところの、テーラー・ケア・センター(Tayor Care Center) という老人ホームに職を得た。2008年(平成20年)の10月のことだった。その年はオバマ大統領が初当選した年で、翌年の就任式の中継では、多くのスタッフが仕事そっちのけでテレビに見入っていた。

 ところが、果たしてもまた、その1月に就職したばかりのテーラー・ケア・センターが閉鎖されるということが発表されたのだった。私にとっては3つ目の職場の閉鎖だった。2008年(平成20年)にリーマンショックがあり、全てがそこに理由付けされ、あらがいようもなかった。

(続く)