44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで㉙

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

今回は、アメリカの管理栄養士、ダイエティシャンになるために必須のインターンシップにについてです。

 

著書より前回の続き。

 

ダイエタティック・インターンシップの始まり

 

 ダイエタティック・インターンシップは2001年(平成13年)の9月10日月曜日から始まった。私達は6月に既に顔合わせをしていたので、初日は、宿題の提出、これからのスケジュールの説明、二組のグループ分けと緊急連絡網の説明、早速の新たな宿題等だった。課されていた膨大な宿題は、皆何とか終えていた。多分、皆工夫を凝らして、互いに写しあったりもしたのだろう。

 

9.11アメリカ同時多発テロ事件

 

 始まりの期日をはっきりと覚えているのには理由がある。それは二日目のことがあるからだ。二日目の2001年9月11日火曜日、前日に課された宿題も終えていたので、多少の余裕と緊張のなかで、マリアの授業を受けていると、8時半ころだったか、キャロルが顔色を変えて、教室に飛び込んできた。ニューヨークシティのワールドトレードセンターに謎の飛行物体が突撃したということだった。それは、後から知ることになるが、9.11アメリカ同時多発テロ事件のことだった。授業は即中止となった。皆で、学生食堂の大型テレビで、生中継の報道を見た。画面のビルからは、もくもくと煙が出ていた。他のクラスも皆中止になったようで、学生食堂は学生で一杯だった。その生中継を見ているうちに、その画面の中の、ビルがみるみる垂直に崩れ落ちた。理解しがたい光景で、皆の驚きの喚声が上がった。

 報道は延々と続いていたが、私の頭の中では、明日の宿題やクイズのことがよぎって、落ち着いてテレビを見ていることが出来なかった。大半の学生はテレビを見続けていたが、私はアパートに戻った。テレビをつけると、報道は続いていた。私は、後でハイライトで見ることにし、テレビは消した。

 その後、インターンシップで病院をめぐることになるのだが、テロ事件に関連した爆弾予告にしばしば遭遇した。また中東辺りから来ている医師も少なからずいて、それらの医師同士が互いにひそひそ話をしているのをよく見かけた。

 

ダイエタティック・インターンシップのカリキュラム

 

 モントクレア州立大学のダイエタティック・インターンシップは9カ月のパートタイムプログラムだ。週3日がフィールドワークで、4日目は半日のクラスだった。そのほかに、修士課程のクラスを一学期に一つづつ、計二クラス取らなければならない。

 フィールドワークは、以下の分野に実際に赴いて、そこで働いているダイエティシャン(RD)に学ぶ。それは、病院の内科外科、リハビリテーション、腎臓疾患(腎臓透析)、長期療養施設、糖尿病管理指導、集中治療室、妊婦と栄養、リサーチ、食糧援助プログラム、初等教育での栄養教育、衛生管理、学校給食、病院食、病院食の管理、ウェルネスセンター、そして小児科等だった。リサーチだけは、学内の教授のクラスで、学術論文の構成、書き方等を学ぶ。

 評価はそれぞれのローテーションの現場の指導者が、いくつもの側面を問う所定の書式に従ってつける。そしてそのローテーションが合格か不合格かも。

 そして、修士課程のコースを9月からの秋学期に一つと、1月からの春学期に一つ取らなければならない。修士課程のコースは木曜日の夜で、週一回、3時間の授業だった。

 

ダイエタティック・インターンシップの一日

 

 6月にあった、初めての顔合わせのミーティングの時にインストラクターから言われたことは、インターンシップを成功させるには、「いい車を持つこと」ということだった。その意味は後から分かった。高いブランドの車を持てという意味ではない。故障しないで、ちゃんと走る車が必要だという意味だ。その意味を実感したのは、フィールドワークのローテーションが始まってすぐのことだった。

 ローテーションは、キャロルとマリアが、インターン一人ひとりのスケジュールを作成しているので、それに従って行けばいいのだが、場所は車で30分から一時間位までの範囲で散らばっている。新しいところに行く前には、道路地図をを調べて、迷わず行けるように準備は怠れない。それ以前には、新しい所へ行く時には、事前に調べるだけではなく、実際に行って確かめたりしていた。だが、インターンシップにおいてはそんな暇はない。スケジュールは翌年の6月までびっしり詰まっている。遅刻等できないのは当たり前だし、もし車が故障して日程がこなせなければ、そこでの合格点はもらえない。それでも、次の日程が詰まっているので、進まなければならない。それが、いい車を持てと言う意味だった。

 ダイエタティック・インターンシップのプログラムの、始めの一週間だけは、クラスの講義だったが、その後フィールドワークは直ぐに始まった。それぞれのフィールドワークは、週3日、1日8時間で、同じ場所で1-4週間続く。週3日、月火水は現場で学び、4日目の木曜は半日で、インターン生がクラスに集合し、それぞれが学んだことを報告し、問題点等を討議しあう。現場の指導者の中には意地の悪いやからもいる。そんないじめのような扱いをどう切り抜けるかを討議されたこともある。そして、臨床系の各々のフィールドローテーションの後には、「事例研究」(Case Study)が課された。

 また、現場からも、宿題や課題を課される。現場は大体朝8時から午後4時までなので、朝6時頃起きてしたくをする。だから、現場からの課題は、帰った日の夜やるしかない。金曜日は休みなので、少し息抜きができた。

 プログラムの一環として組み込まれている修士課程のコースは木曜の夕方からなので、午前中のクラスの後一旦帰宅して出直した。

(続く)