44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで㉖

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

私のカリキュラムも終盤に。そして私のスカラーシップについても。

 

著書より前回の続きです。

 

スカラーシップ 

 

 よく日本人でもフルブライトスカラーシップをもらって留学したとかいう記事を見たりすると、もう天上の人の話のように感じていた。フルブライトスカラーシップとはいかないまでも、スカラーシップをもらって、学費の全額または半額が免除になったなどという華々しい話も時々聞く。どれも私には無縁だ。

 ところが、1999年の秋に学内で、スカラーシップ希望者の募集の案内を見た。それは、私の専攻している栄養学部内の学生を対象にしたもので、3種類位のスカラーシップだった。その中で、Nancy Paisley Scholarship というのがあった。金額はたったの100ドルだったが、留学生で、学業に励む者というような、何の難しい規定のない私にピッタリのスカラーシップだったので、応募することにした。そして私はそれを授与した。金額が少ないので、一目をひかなかったからなのか、それとも、栄養学部内に留学生は他になく、応募者は私一人だったのかはわからないが、うれしかった。授与式にも出席した。

 その後私は、そのスカラーシップの授与歴をレジュメ(履歴書)にいつも、誇り高く、書き込んだ。たった100ドルのスカラーシップなどと誰が知ろうか。

                                        

2000年(平成12年)の春学期

 

 3年目の2000年の春の学期を迎えた。当初私は、この留学は2年と想定していた。日本の大学の教養科目の単位の移行はできていたので、専攻科目だけだ。現に、キャロルの編成していたカリキュラムでは2年間でも全てを取り終えるように組まれていた。ところが、バウアー先生の、アドバイスで、学位もとるために3科目を増やしたため、もう2年間では、難しくなってきた。1998年の夏には、2科目のところを3科目に増やしたが、通常の学期では、4・5科目が精一杯で、それ以上増やすことは私にはできない。

 金銭的には、前年の秋に、亡くなった母の形見分けを姉が送ってくれたので、心配せずに済んだ。もう腹をくくって、もう一年増やそうと決めていた。だから、この3年目の春学期は、あまり無理のない登録だった。登録した科目は、「人体解剖学と生理学」(Human Anatomy & Physiology)、「応用栄養学」(Advanced Nutrition)、「栄養カウンセリング」(Nutrition Counseling)そしておまけに「社交ダンス」(Social Dance)を加えて計4科目だった。

 「人体解剖学と生理学」は私の期待する科目だった。体の各部位や器官の名前と仕組みを学ぶ。医学用語は、ギリシャ語かラテン語を語源とするものがほとんどだ。細部にわたっているので、それは膨大な量で、教科書も分厚くずっしりと重かった。量が多すぎて覚えきれなかった。時間的にも、各章の要約を復習するのが精一杯だった。成績はC+だった。頑張りたいクラスだっただけに、悔しく残念だった。だから今も、職場で看護師たちが、体の部位を専門用語ですらすらと言うのを聞いて、恨めしく思う。 

 「栄養カウンセリング」では、学内から顧客をつのり、実際に栄養指導をする疑似体験クラスだ。疑似栄養士と顧客の一対一のカウンセリングは、授業外で、場所と時間を設定して行い、週一回で計4回位のコースだったと思う。そのカウンセリング記録が、評価の対象となる。私も新入生を一人見つけて,減量相談にのった。コースが終わって、彼女の体重が減ったというのを聞いて嬉しかった。成績はA-だった。

 

最後の学期 -2000年(平成12年)秋学期

 

 最後の学期には「医療栄養療法」(Medical Nutrition Therapy), それを応用して学ぶ「栄養評価ワークショップ」(Workshop in Home Economics: Nutrition Assessment)、「栄養教育テクニック」(Nutrition Education Technique), そしてもう一つ、「ダイエタティクス・セミナー」(Professional Dietetics Seminar)という成績はつかないが、インターンシップに入るための指導をしてくれるクラスを取った。この最後の学期で初めて、時間的にもあくせくすることなしに、心のゆとりもできた。

 「医療栄養療法」と「栄養評価ワークショップ」は、病院や長期療養施設で働くダイエティシャンの知識と実践のテクニックを学ぶ。それは今の私の職業に100%役に立っている。「栄養教育テクニック」は、教育用のショートビデオ作り等で、皆楽しんだ。私の汗と涙の最終の総合GPAは3.147だった。そしてDPD(ダイエティシャンになるための必修科目)の総合GPAは3.212だった。

(続く)