44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで㉔

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

なんだかんだいって二年目の秋学期まで来た。「応用微生物学」での苦労と驚き。

 

著書より前回の続きです。

 

1999年秋学期(Fall Semester)

 

 なんだかんだ言って、ここまで来た。少し先が見えてきた気がした。この秋学期には、「応用微生物学」(Applied Microbiology), 「リサーチ入門」(Introduction to Research), 「家庭科学セミナー」(Senior Seminar: Profession of Home Economics),「フードサービスの組織とマネージメント」(Organization and Management of Food Service Systems), 「生活課程における個人と家族の発展」(Individual and Family Development in Life Span)の5科目を登録した。どれもが3単位で、ずっしりと重い学期だった。私の苦労したのは、「応用微生物学」と「生活課程における個人と家族の発展」だった。

 

「応用微生物学

 

 「応用微生物学」を担当したジョンソン先生は、50代後半位の温厚そうな女性の先生だった。それはいいのだが、教科書はあっても、教科書を全く使わない。90分の授業中、ただ延々と話すだけだ。聞き取りの悪い私が、聞いているのは、表面的な単語や、フレーズだけで、内容的に何を話しているのかはわからなかった。その日の夜に、教科書のその日の課題のあたりをさらってみるが、量が多すぎて読み切れないし、また何を強調していたのかも全く分からなかった。

 当然の結果として、小テストも悪かったし、中間・期末試験も最低の出来だった。二人で組んでするポスタープレゼンテーションも、他のチームのそれに比べて、詳細さに欠け見劣りがし、悔やんだ。成績は、確か、Dだった。この成績については、正当に評価されたものと理解していたので、先生を恨む気持ちなどは全くなかったが、ただ残念で、落ち込んだ。「応用微生物学」は、RDなるための必修科目であり、また、私の、マクロビオティックを科学的に説明したい、という将来の夢に欠かせない科学の分野なのだ。

 また、この時初めてGPA/Grade Point Average(成績評価値)というものを意識した。GPA については後述するが、この「応用微生物学」と「生活課程における個人と家族の発展」の成績によって、GPAがガクンと下がったのだった。

 私は、「応用微生物学」の成績の件を、懇意にしていたスミス先生に話した。すると、スミス先生は、、私に、ジョンソン先生のところに成績を変えてもらうよう話に行けという。私は一瞬耳を疑った。そんなことがあり得るのか。またあり得たとしても、そんな裏の手口は嫌だ。私は返事に躊躇していると、スミス先生はまた、繰り返して言う。成績を変えてもらえるかもしれないと。

 

ジョンソン先生とのアポイントメント

 

 私は、ためらいながらも、ジョンソン先生のオフィスに電話し、アポを取った。予定通り、ジョンソン先生に会い、成績について話した。私は、RD を目指しており、「応用微生物学」は必修科目であること、私は、日本から来た留学生で、英語の聞き取りが悪く、教科書に沿った授業ではなかったので、復習もままならなかったこと、近い将来にRDに向けたインターンシップに入るためには、GPA(成績評価値、詳細は後述)が一定以上なければならないこと、また、わたしがある先生から、ジョンソン先生に会って、成績を変えてもらうように話すようアドバイスを受けて来たことなどだった。

 ジョンソン先生は私の話に耳を傾けてから、言った。分厚い教科書の二章分を示して、この中から、100問の問題を作って、来月また来るようにと。

 私は、このジョンソン先生とのミーティングが、温かいもので、また、出された宿題が難問でもなかったので、ほっとした。

 帰宅して、その宿題をどのようにして達成するかを考えた。一日5問づつ問題を作れば、20日で出来る。教科書の要所要所のラインを疑問文にすればいいわけだ。そしてその答えを正解ひとつと三つの不正解を合わせた選択肢にすると、立派な設問と答えになる。これを一日5問づつなら、可能だ。うれしくなって、さっそく取り組んだ。案外時間はかかったが、背に腹は代えられない。成績を変えてくれるかもしれないのだ。

 出来上がると、一か月も待たずに、直ぐに先生とのアポを取った。先生は私の作った問題集をみると、満足そうだったが、さらに次の2章分を示して、またここから100問の問題を作って来いと言う。私は、まだ続くことを知って、どっと疲れが出たが、とにかくやろうと観念した。毎日コツコツと続けた。その100問をまた先生にもって行くと、先生はまた次の2章分を示して、また同じように指示した。それで私は悟った。この教科書の最後の章までの問題作りが私への宿題なのだと。でもかまわない。私が、授業中に学べなかった微生物学をこの問題作りで学ぶこともできる。

 3回目の100問の問題集を携えて先生に会った。先生がそれを丹念に見ている傍らで、私は、次の100問の問題作りの支持を待った。すると、先生はこれで良いと言い、成績を「A」に変えるという。これには本当に驚いた。嬉しいけれども、戸惑った。こんな事があってもいいのだろうかと。成績がDからAに? そしてさらに、先生は、授業にこの問題集のいくつかを使おうとも言った。そして、成績を変える書式に、変更した成績を記入して、私にくれた。私は真に感謝した。と同時に、このような自由裁量で物事が運ぶ制度にも驚いた。

(続く)