44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで⑱

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

米大学留学のクラスの開始。もう後へはひけない。

 

著書より前回の続きです。

 

クラスの開始

 

  クラスは一番前の席に座った。というのも、日本の例の某留学斡旋所の所長が、一番前に座ってニッコリしていれば、単位をくれるとアドバイスしていたからだ。でもこれは、一・二の例外を除いては、よくないと後から気がついた。というのも、前に座っていると、クラスの様子がわからない。クラスメートの顔さえ覚えられないことがある。ニッコリが効くのかどうかはわからない。でも私はなんと、その学期中そのアドバイス通りに一番前に座って、後悔した。 

  授業の英語は大体が、正しい文法で標準的な発音で話してくれるので、ついて行けるような気がしたが、実際には、半分も分っていなかった。ともかくも、教的科書を読むことだけが頼りだった。だから、教科書は本当に助かった。でも教科書を読むのにも時間がかかる。授業が終ってから、図書館に行って、毎日10時頃まで、教科書を読んだ。一方、教科書を使わない先生や教科書はあってもそれにそって授業をしない先生のクラスには困った。そしてその結果は散々なものだった。

  各コースとも、原則的に中間試験と期末試験があり、科学系以外は、二つ位のプロジェクトが課され、ペーパー(小論分)を書かなければならない。「基礎化学」では、プロジェクトはない代わりに「クイズ」と呼ばれる小テストが、ほぼ毎週あった。ともかく、教科書を読むことでなんとかついて行った。

  「食と人々」という授業では、ケニアから来たスーザンがやはり前に座っていたので、隣り合わせになった。この授業では、試験のほかに、プロジェクトが二つあって、ペーパーを書かなければならない。一つのプロジェクトはフィールドワークで、そこで体験したことをペーパーにまとめなければならない。スーザンに宿題等の詳細を聞けて本当に助かった。これは、前の席に座った例外としての恩恵だった。

 

日本人学生

 

  1月から始まる春学期からだったので、新入生に対する総合的なオリエンテーションはなかったが、留学生だけを対象にした基本的なオリエンテーションはあった。そして、留学生は皆簡単な英語と算数のテストを受けさせられた 。私はパスしたが、不合格だと、それを補強するための授業を取らなければならなかった。

  その留学生向けのオリエンテーションには日本人学生も数人いた。その中にタエちゃんもいた。タエちゃんは高校から留学していて、その後コミュニティーカレッジ(二年制の公立大学)を経て、モントクレア州立大学に来た。

  ちなみに、日本の例の某留学斡旋所の所長は、コミュニティーカレッジは職業訓練校だと言って、徹底的に見下していた。だが実際、コミュニティーカレッジは学費も安く、また入り易いので、アメリカ人の間ではコミュニティーカレッジで二年間の単位をとってから四年制の大学に進むケースはままある。

  というわけで、タエちゃんは、英語にはまったく問題がなく、またとても親切な人柄なので、時々相談にのってもらった。今も使っているYahooのメールアドレスは、タエちゃんにその設定を手伝ってもらったものだ。でもタエちゃんは、その春学期を最後に、日本に帰国してしまった。

  私の住んでいた学生用アパートにも日本人学生が五・六人いて、時々集りがあった。始めて参加したとき、参加者名簿に私の書いた生年月日を彼らが見て、口には出

さないものの、度肝を抜かれたような様子を見て取ったので、居心地が悪くなってしまった。私の外観が明らかに40代半ばであれば問題はなかったのだが、マクロビオティックダイエットのお陰か、私は20代後半で充分に通用していた。見かけによらず、彼らの親の年代なのだから、それも頷ける。

  当時のモントクレア州立大学の学生総数は一万数千人だった。留学性の割合は定かではないが、見かけでは、インド人が多いように感じた。実際、卒業時の地方紙の取材記事ではトルコ人の卒業生が最多だった。日本人らしき東洋系の風貌もそこここに見かけたが、中国人等も多かったので、日本人の割合はわからない。ともかくも、私の専攻の栄養学では、日本人は私一人だった。

 

チュトリアル センター

 

  春学期が始まってまもなく、チュトリアルセンターの存在を知り、歓喜した。チュトリアルセンターとは、先輩学生が、勉強や宿題を手伝ってくれる所だ。アルバイトとして 主に修士課程の学生が、チューターとして語学から科学の分野まで色々な科目をサポートしている。私の必要としていたのは、様々なクラスで毎週のように提出しなければならないレポートや小論文の英語の添削だ。

  チューターはその時どきで替わるのだが、なかでも、アルには長いこと、そして学外でもお世話になった。アルはその当時40代くらいの修士課程の学生で、心理学を専攻していた。でも、以前は、高校の英語教師だったという。彼は、単に文法的な誤りを直すだけではなく、時には内容的なアドバイスもしてくれた。後に、彼が卒業して他大学に就職してからも、また私が修士課程に進み、卒業論文に取組んでいる時も、時間をとってくれて、待ち合せた場所で添削をしてくれた。

   英語以外で、お世話になった科目は栄養学だ。あるときチュトリアルセンターに栄養学のチューターもいることに気づいた。私は栄養学のある方程式がよく理会できないでいる時だった。チューターであった三年生のミシェルが親切に説明してくれて、難を免れた。それから、栄養学のプロジェクトのアドバイスも受けてとても助かった。

  アル、ミシェル、本当にありがとう。

(続く)