44歳からの留学 ― 米国管理栄養士の、事の始まりから現在まで④

こんにちは。『44歳からの留学 -67歳現役米国公認管理栄養士、20年の奮闘記』(Book Trip)の著者のYufiこと堀尾シェルド裕子です。私の体験が、これから留学を考 えている人、米国で管理栄養士になることに興味のある人に役立てることを願っています。また物見遊山でこのサイトをみた方、野次馬も歓迎です。コメントもよろしくお願いします。

 

本書ではこの後、マクロビオティックの基本理念について説明しましたが、ここでは割愛します。以下著書より。

 

私は、このマクロビオティックの食事法に魅せられてから、マクロビオティックの本部である日本CI協会で運営されている「リマ・クッキング・アカデミー」で、その料理を習った。初級、中級、上級、師範と進み、師範の免状も取った。自分試しもあって、自宅などで短期間だが、マクロビオティックの料理教室も開いた。

 

久司道夫先生

 

 マクロビオティックを習い始めたときから、会員として送られてきた月刊誌を読むようになった。その中で、ひときわ私の目を引いた記事があった。それは、「がんーある『完全治癒』の記録」という本についてであった。米国人医師が前立腺癌にかかるが、マクロビオティック米食で、治したというものだった。早速その本を購入して読み、その時始めて日本人の「ミチオ・クシ」として出て来るボストンのマクロビオティック指導者の名前も知った。そのころは1980年代半ばで、米国でエイズが蔓延して始めている時期でもあった。偶然にまた、一般の雑誌の中でもミチオ・クシという名前を目にした。ミチオ・クシ氏はエイズ患者にエイズを治すべく、玄米食指導をしていた。

  前述した日本CI協会は当時、東北沢(東京都)にあり、マクロビオティックの食材を売る小売り店も併設していて、時々買い物に行っていた。1987年(昭和62年)のある日、そこでふと目にした講演のポスターに、「久司道夫」という人の名前を見つけた。あの、本や雑誌の中でだけしか知らなかったミチオ・クシという人だ。米国の東海岸を中心に、マクロビオティックの啓蒙活動を、その時既に30年以上しているという 久司道夫という人が、訪日して講演をするという。一もにもなく参加申し込みをして、講演を聞きに行った。

 久司道夫先生(当時61歳)は、わかりやすくマクロビオティックの理論と実践を説いた。穏やかな話しぶりで、また、その幅広い知識が裏付けとなって説得力があった。久司先生の話には常に希望があった。エイズについても話した。当時は、エイズの原因も、治療法も究明できていない状態であったが、久司先生には、久司先生独自の見解があり、マクロビオティック療法の効果の研究をボストン大学の研究者と共に進めていた。

 講演があったのは、久司先生が、日本人の奥様のアヴェリーヌ先生と、約20人位のアメリカその他の国でのマクロビオティック実践者を連れて、日本旅行に来ている最中のことだった。私は、その講演とその日本旅行を企画運営していた村越さんと話をし、懇意になった。そして、翌年、その村越さんが、恒例となっていた久司先生たちの日本旅行のうちの東京ツアーに呼んでくれた。私は、久司先生とアヴェリーヌ先生にはじめて紹介された。別れ際に、久司先生とアヴェリーヌ先生は、アメリカにいらっしゃいと言ってくれた。久司先生の家の手伝いをしながら、語学学校にでも行ったらいいと。お手伝いさんは常に探しているようだった。その翌年もまた、久司先生ら一行が来日し、また呼ばれて、久司先生一行と再び会うことになる。